By Mike Baxter -2022年1月30日(Real Raw Newsより翻訳)
米海軍司祭部隊のクリスチャンであるドリュー・ダグステ司祭が、Real Raw Newsに対して、米軍の「ホワイトハット」部隊は、今日我々が住んでいるシンクレット*社会(混合社会)を包んでいる悪魔の力に対して戦争をしていると語ったのは、比喩的な意味合いではなかった。
ダグステ司祭はギャビン・ニューサムの処刑に立ち会い、失脚したカリフォルニア州知事ニューサムの絞首刑を担当した兵士にラテン語の呪文を投げつけ始める前から、ニューサムの目に「悪」を見た、と言った。
「彼は私を見て、私の血は冷たくなった。彼の視線は私の魂を凍らせた」とダグステ牧師は言った。
ニューサムの鋭い視線は、彼の精神的な決意を一瞬弱めたと、ダグステ牧師は付け加えた。
「悪意のある、邪悪な声が聞こえました。私の心に語りかけてきました。それは『神はいない、いるのは我々だけだ』と言ったのです。心臓はドキドキし、手足は恐怖で固まっていましたが、なぜか心の中では逃げていました。キリストの権威に呼びかけ、心を静め、勇気で満たしていただきました」 とダグステ司祭は言った。
彼は、満たされた力でニューサムの鋭い視線を受け止めた。そのとき、ニューサムの足元のドアが開き、彼の肉体から命が失われた。
ダグステ司祭は、他の処刑にも立ち会ったことがある。マーク・メズビンスキーとIウィリアム・バーの絞首刑に立ち会ったが、ギャビン・ニューサムを前にして感じたような悪の蔓延は感じられなかった。
「私が感じたのは、人並み以上のものでした。いや、訂正させてください。ギャビン・ニューサムは人並み以下だった。私は彼の中に紛れもなく宿る霊の存在を感じたのです。私の信仰の信条では、取り憑かれた者は悪とみなされないし、行動に全面的な責任を持ちません。なぜなら内なる悪魔が命令を発しているからです。この発言は非難を浴びるかもしれません。しかし、ニューサムという人間を知る限り、彼の行動は道徳の本質を揺るがすものでした。彼は弱く柔順であったため、憑依されやすい状態にありました。彼の中に住む悪魔のような存在は、彼の道徳的な欠落を増幅させました」とダグステ司祭は言った。
「私だったら、悪魔を追い出し、その人を救おうとする。しかし、私にはそのような権限はない」と付け加えた。
彼は、自発的な弱さの瞬間、つまり、25年間、主であり救い主の代理を務めてきた中で見たことのない邪悪なものに直面したとき、キリストを堅く信頼することができなかったことを後悔しているという。
「そして、このようなことは二度と起こしません。私たちは悪魔と戦っているのです」と彼は締めくくった。
筆者注:RRNは通常、宗教的権威のものであっても、感情や直感に基づく内容を掲載することはない。しかし、彼の発言は非常に説得力があり、誠実なものであったので、この記事を掲載することにした。
訳者注:シンクレティズム
シンクレティズム(英語: syncretism)とは、相異なる信仰や一見相矛盾する信仰を結合・混合すること、あるいはさまざまな学派・流派の実践・慣習を混合することである。「混合」〔混合主義〕、「習合」〔習合主義〕、「諸教混淆」(しょきょうこんこう)ともいう。その他、日本語訳には「融合」、「混交」、「複合」、「重層」も使用されている。 シンクレティズムという概念や用語は、芸術や文化のありようを形容する際にも使われ(折衷主義とも)、政治の分野でも使われている(政治的シンクレティズム)。
憑依されているのは、言い訳にはならない。憑依されるようなことをしているはずだから。